「自分たちが行きたくなる店をつくる」飲食未経験で創作うどん専門店に挑戦した理由とは?
一滴グループが最も大事にしているのが「自分たちが行きたくなる店をつくる」ということ。飲食店の現場に立ったことがないにも関わらず、東京で創作うどん専門店に挑戦したその理由とは。
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東京に本場のうどん文化を浸透させたかった
〜一滴グループ代表の大薮〜
四国の実家は父の代から「うどん屋」を営んでいました。大学進学を機に上京しましたが、外でうどんを食べることはほとんどありませんでした。
「東京では美味いうどんがなかなか食べられない。」
当時はそういう意見も多かったですね。
もちろん、讃岐うどんを看板に掲げ、本場のコシを伝えようと長年がんばっていらっしゃる先輩たちが何人もいらっしゃいました。しかし、表舞台に出る機会は少なかったと思います。
大学卒業後は建築関係の会社に入社し、飲食業とは全く別のキャリアを歩んでいました。今思えば「父親とは違う道を進みたい」という意識があったのかもしれません。
ところが30歳になったときに、弟が大手商社への内定を蹴って「うどん屋をやろう、東京に自分たちが行きたくなるような店をつくろう」と言い出しました。
当時は内装関係の仕事をしており、実家が飲食店だったのもあって「自分ならこういうお店を出したい」と考える機会も多々ありました。良い節目だし思い切ってやってみよう!と弟・義弟と共に創業したのが創作うどん専門店の『一滴八銭屋新宿本店』でした。
自分たちが東京にうどん文化を浸透させてやろう、と。喫茶店の「スパゲティー」がパスタ屋の「パスタ」になったように、蕎麦屋の「うどん」ではなく、うどん屋の「うどん」を当たり前に食べられるようにしよう。その一心でした。
「東京では美味いうどんがなかなか食べられない。」
当時はそういう意見も多かったですね。
もちろん、讃岐うどんを看板に掲げ、本場のコシを伝えようと長年がんばっていらっしゃる先輩たちが何人もいらっしゃいました。しかし、表舞台に出る機会は少なかったと思います。
大学卒業後は建築関係の会社に入社し、飲食業とは全く別のキャリアを歩んでいました。今思えば「父親とは違う道を進みたい」という意識があったのかもしれません。
ところが30歳になったときに、弟が大手商社への内定を蹴って「うどん屋をやろう、東京に自分たちが行きたくなるような店をつくろう」と言い出しました。
当時は内装関係の仕事をしており、実家が飲食店だったのもあって「自分ならこういうお店を出したい」と考える機会も多々ありました。良い節目だし思い切ってやってみよう!と弟・義弟と共に創業したのが創作うどん専門店の『一滴八銭屋新宿本店』でした。
自分たちが東京にうどん文化を浸透させてやろう、と。喫茶店の「スパゲティー」がパスタ屋の「パスタ」になったように、蕎麦屋の「うどん」ではなく、うどん屋の「うどん」を当たり前に食べられるようにしよう。その一心でした。
「蕎麦は置いてないの?」そう聞かれた当時はまさか讃岐うどんブームが訪れるなんて想像もしなかった

〜一滴八銭屋の「名物白肉うどん」〜
創業当時は、東京に「讃岐うどんブーム」がやってくることを誰も予想していませんでした。「うどん専門店」と掲げているにも関わらず「蕎麦は置いてないの?」と聞かれることも多かったですね。
また、飲食店の現場に立った経験がなかったので、仕込みも調理もわからない状況で、うどん一杯を提供するのに2時間かかったこともありました。
それでも、一口目食べていただいたお客様の一瞬びっくりしたような顔が嬉しくて。
飲食未経験な分、素直に「自分がお客様だったら、また食べに来たいか」がメニューへのこだわりでした。だから、味だけは絶対に自信がありました。
その甲斐あって徐々にリピーターも増え、ネットに
「東京に本格的な讃岐うどん店ができた」
「いままで東京に讃岐うどん店はほとんどなかったし、これだけコシが強いうどんもなかった」
と書きこんでくれた人もいて。
もちろんうどんブームの流れにのれたことはラッキーでしたが、20年続けられたのは、味へ一切妥協しなかったからだと自負しています。
また、飲食店の現場に立った経験がなかったので、仕込みも調理もわからない状況で、うどん一杯を提供するのに2時間かかったこともありました。
それでも、一口目食べていただいたお客様の一瞬びっくりしたような顔が嬉しくて。
飲食未経験な分、素直に「自分がお客様だったら、また食べに来たいか」がメニューへのこだわりでした。だから、味だけは絶対に自信がありました。
その甲斐あって徐々にリピーターも増え、ネットに
「東京に本格的な讃岐うどん店ができた」
「いままで東京に讃岐うどん店はほとんどなかったし、これだけコシが強いうどんもなかった」
と書きこんでくれた人もいて。
もちろんうどんブームの流れにのれたことはラッキーでしたが、20年続けられたのは、味へ一切妥協しなかったからだと自負しています。
今でも迷ったときに心の中でつぶやく「自分たちがに行きたくなる店をつくる」それだけが僕達の呪文です。

〜スタッフの集合写真(一滴八銭屋とは別の直営店舗『段々屋』の前にて)〜
スタッフとよく話します。
「自分達自身が行きたくなる、更には、両親や恋人や、自分の一番大事な人を連れてきたくなる店にしよう」と。 ピーク時のてんてこ舞いの時に料理の手を抜いたり、気配りができなかったり、そういう店には、客として大事な人を連れてきて「いい店でしょ?」って自慢できません。
だから、一緒に働く人も、ネットやテレビで話題になるお店より、月商1000万円のお店より、FCとしてどんどん拡大していくブランド業態より、「自分たちが行きたくなるお店」を作りたい、という思いに共感してくる人に来ていただきたいと思っています。
「自分達自身が行きたくなる、更には、両親や恋人や、自分の一番大事な人を連れてきたくなる店にしよう」と。 ピーク時のてんてこ舞いの時に料理の手を抜いたり、気配りができなかったり、そういう店には、客として大事な人を連れてきて「いい店でしょ?」って自慢できません。
だから、一緒に働く人も、ネットやテレビで話題になるお店より、月商1000万円のお店より、FCとしてどんどん拡大していくブランド業態より、「自分たちが行きたくなるお店」を作りたい、という思いに共感してくる人に来ていただきたいと思っています。